園だより

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2017年10月の園便りから
 「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」と主イエスは勧めますが、喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣くことは、案外難しいことかも知れません。これとは全く逆の言葉として「他人の不幸は蜜の味」という言葉があるように、他人の不幸に対して覚える歪んだ快感、自分でなくてよかったとする安堵感、あの人に比べれば自分の方がまだマシだと思って味わう安心感。私たちの心の奥底には、そんな「秘密」「嫉妬深さ」、歪んだ「優越感」が潜んでいるからです。
 しかし、そんな私たちの傍らに主イエスは寄り添ってくださいました。私たちの苦しみ悲しみを背負ってくださいました。こんな私の隣り人にイエスさまがなってくださったという、救われた喜びと、そして感謝の思いが、隣り人を愛する愛となるのです。「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」という勧めを心から感謝して受け入れ、隣り人の喜びや悲しみに共感することができるのです。 (園長)
                                                                                                             
2017年9月の園便りから
 「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」とイエスさまはおっしゃいました。イエスさまというぶどうの木に私たちが一所懸命つながっていれば、実を結ぶことができるのです。イエスさまにつながることは、イエスさまにとどまること、イエスさまの愛にとどまることです。イエスさまにつながることは、イエスさまの愛にとどまることなのです。ぶどうの枝が幹とつながり、幹から栄養を受けて実を結ぶように、私たちも、主イエス・キリストとつながり、イエスさまから豊かな愛をいただくことで豊かな実を結ぶことができるのです。私たちも、イエスさまとつながり、イエスさまから豊かな愛をいただくことで「互いに愛し合」うことができるようになるのです。だからイエスさまとつながっていたいと思います。 (園長)                                                                                       
 
                                
                            
2017年7月の園便りから
 「あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。あなたがたも愛によって歩みなさい」(エフェソ5:1-2) と、聖書は語ります。「神に倣う者となりなさい」は「神の肖像画となりなさい」と訳すこともできます。もちろん、私たちは神さまのようにはなれませんが、しかし、神さまに真実に愛されていることを知って、神さまの愛を素直に受け入れ、その感謝と喜びをもって生きることが出来るなら、それが神さまに倣う者として、それこそ神さまの肖像画を私たち自身に描く生き方になります。
 7月、8月は、自然の中で過ごすことがとても多くなる季節です。雄大な自然とその中にある命を、神さまはをその手の中で守り導いてくださいます。何よりも私たち一人ひとりにたくさんの愛を注いでくださっています。この神さまの愛を子どもたちと、たくさん知っていきたいと思います。 (園長)

                                            


2017年6月の園便りから

 
 「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。…栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。…野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか」(マタイ6:28-30)
 自分で働いたり、紡いだりしないような野の草花のためにさえ、神は雨を降らせ、太陽の光を注ぎ、栄養分を与えてくださって、ちゃんと成長させ、一つ一つの花にそれぞれ固有の美しさを与えてくださいます。大神殿を建て、数々の財宝を手に入れることができたソロモンよりももっと、あの一本の野の花を神さまは美しく着飾らせてくださるのです。それならば、私たち一人ひとりを神は本当に愛し、配慮してくださることは確かです。この神に信頼するとき、今日を生きる力が生まれます。
 幼稚園では、それぞれの家庭から花を持ってきて「花の日」の礼拝を持ちます。花の日は19世紀にアメリカの教会で始まりました。小さな花も美しく咲かせてくださる神さまに感謝して礼拝を守り、礼拝後は花を携えて派出所や各社会施設を慰問します。(園長)

                                       
2017年5月の園便りから
 聖書は「私は魂を沈黙させます。私の魂を、幼子のように、母の胸にいる幼子のようにします」(詩編131:2)と、母親のふところに眠る幼子の様子を描きます。幼子が母親のふところに抱かれを望むのは、乳を欲しがっているからではなく、ただ母親と一緒にいると安心感があるからです。幼子は母親の(父親であっても)そのふところに抱かれているだけで安心して、眠ることが出来るのです。
 神さまと人との関係も同じです。母親が幼子の眠りを支え守るように、生活のすべてを守り導かれる神さまがいてくださるから、安心していられるのです。だから聖書は、主なる神のもとに守られている確かさを繰り返し語ります。そして、神さまにこそ真実の希望があることを私たちに示しています。(4月の「園長を囲む会」より)
                                       


2017年4月の園便りから
  「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された」(ルカ2:52)と、聖書には、イエスさまがクリスマスの出来事の後にどのように育ったのか、幼子からたくましく育って「背丈も伸び」それと同時に「知恵が増し」と当たり前のことが告げられています。ここには何気ない言葉ですけれど、ほんとうに大切なことが書かれているのです。自分で生きる環境を作り出せない幼子にとって、心も体も健やかに育っていくためには、周りの人に愛されるということが欠かせません。
 わたしたちは、子供たちに「神と人とに愛された」と、言い切ることが出来る日々を与えてあげたいと願い、2017年度は「愛されて育つ」という年間主題を掲げました。子供は神さまと人とに愛されてこそ、知恵が増し、背丈も伸び、心も体も成長していくのです。新しいお友だちを迎え、若草幼稚園の2017年度の歩みが始まりました。幼稚園とご家庭が一緒になって、一人ひとりの成長を見守っていきましょう。皆さまに神さまの祝福が豊かにありますよう祈ります。   (園長)
                                  
                    


2017年3月の園便りから

 聖書に出てくるお金の単位にタラントンがあります。1タラントンは労働者の20年分の賃金にあたりますから、とても大きな額です。イエスさまの例え話にも、タラントンの例え話(マタイ25:14-30)があります。そこでイエスさまは、一人ひとり異なるタラントンが与えられており、そのタラントンを与えてくださったお方を信じて自由に使うように促しています。このタラントンから生まれた言葉に「才能」あるいは才能を持っている芸能人などのことを言うタレントがあります。神さまから与えられた能力がタレントであり、タラントンです。それは、特別の人間だけではなく、私たち一人ひとりには、異なるタラントンが与えられ、それも計り知れないほど大きなタラントンが神さまから与えられているのです。
                                                 (「園長を囲む会」より)
                                                      
 

2017年2月の園便りから
 
「むやみと 歩きたくなる あるくことが いちばんすぐれたことのようにおもえてくる」 この詩は、クリスチャン詩人八木重吉の「歩きたくなる」という詩です。子どもたちの歩みは、こんな歩みかもしれません。むやみと歩きたくなる、もっともっと歩きたくなる生活です。なぜそうなるのか。歩きたくなるのは、確信があるからです。光となってクリスマスに来てくださったイエスさまが、いつも私と共にいてくれることを信じられるから、いつも私の歩みを光が照らしてくださることを信じられるから歩き続けたくなるのです。
 もちろん、むやみに歩くといっても、幼稚園で歩き方を教えます。特に天気の良い日に行くお散歩は歩き方を覚える大切なときです。友達と手をつないで、教師たちに見守られながら歩きます。そのようにして、友達や教師たちと、そして、保護者の方々と一緒に歩きながら子どもたちは歩き方を覚えます。何よりも、どんな歩みにもイエスさまが共に歩んでくれていることを子どもたちは覚えることで、安心してしっかりと歩みを進められるのです。(園長)

     

2017年1月の園便りから
  
明けましておめでとうございます。新しい2017年もイエスさまの少年時代がそうであったように「神と人とに愛されて」(ルカ1:52)心も体も成長していきますように、またご家庭に神さまの祝福がありますよう、お祈りいたします。
 聖書は、私たち一人ひとりに異なる賜物(カリスマ)が与えられていると語ります。ですから、子どもたち一人ひとりにも神さまからの異なった賜物が恵みとして与えられているのですから、一つとして全く同じではないということです。子どもたち一人ひとりは、一人ひとり全く異なった賜物を神さまから与えられているカリスマ園児なのです。
 昨年末のクリスマス会は祝福のうちに行われました。子供たちがそれぞれの役を十分に果たしきって、クリスマスの喜びを全身で表現できました。感謝です。

 保護者の方々には、一人ひとりの成長の姿を見ていただけたことと思います。子供たちにとってこのクリスマスでの経験は今後の成長の良き糧となることでしょう。お友達みんなが参加したことで、子供同士の結びつき強く深くなります。それらが合わさり、3学期の成長につながっていくことを願っています。 (園 長)

                                             
2016年12月の園便りから
 博士たちは星に導かれベツレヘムの馬小屋でイエスさまを礼拝し、黄金と乳香と没薬のささげものをします。これらは、どれも宝物ですから、出産祝いに何か適当な物を買ってもってきたのではなくて、自分が大切にしてきた物です。それがなくなっても少しも困らないものなどを宝物とは呼ばないでしょう。星占いをするときに、乳香や没薬を使ったともいわれるのですが、そうすると商売道具であり生活の手段です。しかし博士たちは、宝物を捧げるのです。なぜ博士たちは、宝物を捧げられたのか。それは、生きていくことの心配がなくなったからです。星を探さなくても星を見つけられたからです。自分は救われるのだという確信を持ったからです。クリスマスは喜びの時です。私たちが宝物を捧げる前に、神さまが私たちに宝物を下さったからです。
 喜びのクリスマスを子どもたちといっしょに迎えましょう。 (園長)              

                        

2016年11月の園便りから  
 神さまは、私たちが神さまを愛する前から私たちのことを愛し、私たちが賛美をささげる前から、私たちのための祝福を用意し、その思いを永遠に持ってくださいます。聖書には「主を畏れることは知恵の初め」(箴言1:7、詩編111:10)という言葉があります。神さまを畏れることは怖がることではありません。私たちを愛してくださる神さまを神として礼拝することです。「主を畏れる」ことの反対は「自分を神とし、自分の上に権威を認めない」ということです。現代社会の問題の根源を見るような気がします。聖書は「主を畏れつつ生きる」という姿勢について語っています。主を畏れることから始まる知恵とは、生活の知恵、学習による知恵ではなく、人生を意味あるものとする知恵です。それは、私たちを永遠に愛してくださる神さまに対する敬虔から始まるのです。私たちの善意や好意は一時的なものがずいぶんあります。あきてしまったり、心変わりしたり、私たちの誠実さにはあてにできないのす。しかし、私たちに対する神さまの愛は「永遠に続く」のだと聖書は教えています。神さまを畏れつつ、感謝しつつ、子どもたちと日々過ごしたいと思います。  (「園長を囲む会」より)

                                            
  

               

   

  


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