園だより

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2018年9月の園便りから
大きな木を見ていると、分かることがあります。枝が幹にしがみついているのではなく、幹から枝が伸びているということです。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」とイエスさまはおっしゃいました。ぶどうの木であるイエスさまが、私たちをしっかりとつなげてくださるのです。だから、イエスさまは、私たちといつも一緒にいてくださいます。
  だから、枝は木にしがみつくことを考えなくてもいいのです。枝はもっともっと先へと伸びることを考えればいいのです。そうして気がついたら、良い実が実っているのです。そのことを神さまは喜んでいてくださるのです。イエスさまというぶどうの木に私たちがつながっていれば、実を結ぶことができるのです。 (園長)
 


                                                    

2018年7月の園便りから
 夏を代表する花ひまわりは向日葵の名の通り、太陽といつも向き合っているようです。ある時、「おい、ひまわり。どうしたら、そんな顔になるんだ?」と聞いてみると、「いつも太陽だけをじっと見続けていたから、こんな顔になったんだ!」と、ひまわりは答えます。
 
光の子として歩みなさい」とは、こういうことです。光をずっと見続けていたならば、その光に照らされて、光に包まれて光の子らしくなるのです。
 もうすぐ夏休みを迎えます。子どもにとってこの時期は幼稚園とは違った時間を過ごすことになります。自然の中で過ごす時間が増えるでしょう。自然の息吹、神さまの恵みを感じて心も体も成長し豊かにされることを願います。
 また夏休みは、ご両親や兄弟と一緒に過ごす時間が多くなります。家族と過ごす時間が子どもにとって大切になっています。家族でしかできないことをする、夏にしかできない経験をする、生活習慣を見直す…夏休みがあるお陰で、子どもにプラスなことはたくさんあります。時間にとらわれず濃厚な家族の時間が過ごせるのも夏休みの醍醐味だと思います。家族とたくさん過ごす中で、夏休みの遊びに向けられた好奇心やアイディアの豊かさや自然体験などが、二学期以降の子どもたちによく生かされていきます。  (園長)                                            

                                   

2018年6月の園便りから

 
野の花や空の鳥は心配ごととは無縁です。それは、今の一瞬一瞬を神さまに祝福されて咲き、神さまの恵みを受けて羽ばたいているからです。他人を傷つけることも、他人から自分がどう思われているかという不安もありません。そのような花や鳥の姿こそ、神さまの愛の祝福を映し出しているのです。花や鳥でさえも神さまは祝福で包んでくださるのです。空の鳥や野の花に注目させたイエスさまは、「何を食べようか何を飲もうかと、何を着ようかと、思い悩むな」(6:25)と言われます。それは、神さまが私たちの命と体を養って下さり、そのために必要なものを全てご存じであり、それを私たちに与えてくださるからです。
幼稚園では、それぞれの家庭から花を持ってきて「花の日」の礼拝を持ちます。花の日は19世紀にアメリカの教会で始まりました。小さな花も美しく咲かせてくださる神さまに感謝して礼拝を守り、礼拝後は花を携えて派出所や各社会施設を慰問します。(園長)
 
                                      
2018年5月の園便りから
 
「あなたがたは神に愛されている子供です」(エフェソ5:1)という言葉に続いて聖書は、「神に倣う者になりなさい」と語っています。神さまに倣うとは、隣人を自分を愛するように愛することだ、と言えるでしょう。ここで聖書は、「頑張って、誰でも愛せるようにならなくちゃいけないですよ」とは言っていません。何よりも隣人を愛することの大前提は「あなたがたは神に愛されている子供です」ということです。この私が神さまに愛されているのだ、ということを子供たちに知ってもらいたいと思います。私たちを無条件に愛してくれるこの神さまの愛を知ることができたならば、神さまへの信頼があればきっと、人を愛し受け入れ合うことができるのです。このことを信じて、これからも子どもたちに神さまの愛を伝えたいと思います。(園長)
                                       

   

2018年4月の園便りから  

子どもたちは、幼稚園で落ち着くことができる場所、自分の居場所を見つけるまで、思いきり遊べなかったりします。自分の居場所、それは、愛されていることを知る場所です。子どもたちにとって最良の居場所、それは、たくさんの愛情を注いでくれる保護者と共に過ごす家庭が子どもたちにとって最良の居場所です。子どもたちは愛されていることがよくわかっているのです。だからこそ、教師たちがすることは子どもたちを愛することです。教師たちは職業意識で子どもたちを愛するのではなく、教師たちこそ自分が愛されていることを知っている者だから、子どもたちを愛するのです。
 「神はその独り子をお与えになったほど世を愛された」(ヨハネ3:16)、「神は愛です」(ヨハネT 4:16)と、聖書は神さまの愛を繰り返し語ります。子どもたちに、自分が家庭でたくさん愛されていることを、教師たちに愛されていることを、神さまにたくさん愛されていることを知ってもらいたいと思います。愛されているからこそ、自分も愛する者になってほしいと思います。
 新入園児を迎え、若草幼稚園の2018年度の歩みが始まりました。幼稚園とご家庭が共に、一人ひとりの成長を見守っていきましょう。(園長)               

    


  

2018年3月の園便りから
 
聖書の詩篇138編には神さまに対する信頼が記されています。神さまは、「呼び求めるわたしに答え、魂に力を与え」(138:3)てくださるお方です。また、「主は高くいましても、低くされているものを見ておられる」(138:6)お方です。さらに、「わたしが苦難の中を歩いているときにも、御手を遣わし右の御手でお救いくださる」(138:7)のです。
 つまり神さまは、一人ひとりの祈りの声を聞き、一人ひとりの苦悩をよく知っていてくださるお方なのです。私たちには見えなくても、神さまは私たち一人ひとりを見ていてくださり、苦悩を知っていてくださる、祈りを聞いてくださるお方なのです。この神さまに信頼して子供たちが歩み続けることを願っています。 (園長)  



                                            

2018年2月の園便りから
 

 「光」にはいろいろな光があります。太陽から注がれる光があります。この光によって人々は働くことができ、生きていくために必要なものを手に入れることができます。食べ物となる穀物や木の実や野菜も育てられます。また、寒さに凍える人に温かさを届けます。一方で、太陽とは比べようもない小さな光があります。たとえば、ろうそくの光です。かつては、このろうそくの光を頼りとした時代がありました。太陽が沈んだ夜の闇の中に、この光がポーッとともったとき、ある人は勇気を与えられました。暗闇の中でろうそくの光を頼りに生活をし、勉強をし、旅をした人もいます。
 
神さまは、私たちに光を与えてくださいました。クリスマスに光となって来てくださったイエスさまです。そうして、イエスさまを信じる者を光の子としてくださいます。きっと将来、若草幼稚園で過ごした子供たちは、太陽のようにまぶしく輝く人もいるでしょうし、ろうそくのように人の傍らで優しく照らしてくれる人もいるでしょう。光の子として歩むことを信じています。     (園長)

     

2018年1月の園便りから
  
明けましておめでとうございます。新しい2017年もイエスさまの少年時代がそうであったように「神と人とに愛されて」(ルカ1:52)心も体も成長していきますように、またご家庭に神さまの祝福がありますよう、お祈りいたします。
 聖書は神さまの愛について、「神は、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハネ3:16)と語ります。神さまがクリスマスにひとり子をこの世に与えてくださったのは、この世と私たちを愛してくださっているからです。
 昨年末のクリスマス会は祝福のうちに行われました。子どもたち全員がそれぞれの役を十分に果たしきって、クリスマスの喜びを全身で表現しました。感謝です。保護者の方々には、一人ひとりの成長の姿を見ていただけたことと思います。子供たちにとってこのクリスマスでの経験は成長の良き糧となることでしょう。神さまとご家庭の方々を初めとして多くの人々に愛されていることを知ることで、子どもたちの3学期以降の成長につながっていくことを願っています。(園 長)                                
                                 
2017年12月の園便りから
「クリスマスChristmas」という言葉は英語ですが、「キリスト降誕祭」を表します。この言葉は、「キリストのミサ」「キリストを礼拝する」という意味です。ドイツ語ではヴァイナハト(聖なる夜)、フランス語ではノエル(良い知らせ)、スペイン語ではナヴィダト(誕生)と呼んでいます。
 なぜ、私たちは毎年「クリスマスおめでとう!」と、お祝いするのでしょうか。それは、イエス・キリストがお生まれになったことが、2017年前に起こった出来事というだけにとどまらず、現代に生きる私たちにとっても重大な意味を持つからです。歴史は、キリストが誕生したと考えられる年を境に、紀元前B.C.(Before Christキリスト以前)と紀元後A.D.(Anno Domini主の年)に分かれます。つまりキリストの誕生によって、歴史が闇の時代から光の時代に大きく変化したのです。人間にはどうにもならないと思われた暗闇に光が輝き、その光を受けた人々の心に喜びと感謝があふれ、新しい命に生きる希望が与えられる。クリスマスは、そんな光を体験する時です。もうすぐ喜びのクリスマスです。 (園長)

            

                        

2017年11月の園便りから  
  私たちが感謝するときに、私たちに与えられた恵みを数えることによって感謝できるでしょう。自分には家族がいるし、友達もいる、将来に希望がある。私たちの周りに目を向けると光があり、青空もあり、花も、木もある。あのこともあり、このこともあるのです。数え上げていくならば、実にたくさんのことが私たちにとって感謝です。しかし、どんなに感謝すべきことがたくさんあっても、悩みや苦しみはやっぱりあるのです。そしてその一つの悩みごとがあるかぎり、いくら感謝できることがたくさんあっても、心からは感謝することなど、なかなかできないのです。しかし聖書はここで、「どんなことにも感謝しなさい」と語ります。「どんなことにも」ということは、私たちの人生のすべてです。私たちの人生は支えられているんだということ、もっと言えば感謝できないような苦しみや悩みの中でも、すべてが受け入れられている、つまりすべてを神さまに頼り切れるのだから、「どんなことにも感謝」できるのです。なぜならば、私たちが神さまに感謝できるのは、神さまが私たちを造って愛してくれているからです。さらに私たちのすべてを担うためにイエスさまがクリスマスに与えられたのです。 (「園長を囲む会」より

                                            
2017年10月の園便りから
 「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」と主イエスは勧めますが、喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣くことは、案外難しいことかも知れません。これとは全く逆の言葉として「他人の不幸は蜜の味」という言葉があるように、他人の不幸に対して覚える歪んだ快感、自分でなくてよかったとする安堵感、あの人に比べれば自分の方がまだマシだと思って味わう安心感。私たちの心の奥底には、そんな「秘密」「嫉妬深さ」、歪んだ「優越感」が潜んでいるからです。
 しかし、そんな私たちの傍らに主イエスは寄り添ってくださいました。私たちの苦しみ悲しみを背負ってくださいました。こんな私の隣り人にイエスさまがなってくださったという、救われた喜びと、そして感謝の思いが、隣り人を愛する愛となるのです。「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」という勧めを心から感謝して受け入れ、隣り人の喜びや悲しみに共感することができるのです。 (園長)
                                                                                                                                                                                        
 
                                
                       
                                                 

       

   

  


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