園だより

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2019年1月の園便りから
 
 「わたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる」とイエスさまは言われます。「その中にいる」のですから、イエスさまが共にいて、私たちの思いを受け止め、祈りを聴いてくださいます。私たちには誰もが他人には知られたくない秘密があります。一人でなければ祈れない祈りもありますし、その祈りも神さまは受け止めてくれます。それと同時に、皆に知ってもらい、皆で祈り願わなければかなわないことがあります。皆の力と思いを結集しなければ実現できないことがあります。子どもたちの健やかな成長や子どもたちが生きる世界の平和は、皆で祈り願うことです。そうしたことを皆で祈り願うときに、「わたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる」とイエスさまは約束してくださっています。
 新しい2019年もイエスさまが共にいて子どもたちの成長を支えてくださいますように祈ります。 (園 長)      
                           
                          
2018年12月の園便りから
 数年前、こんなニュースを聞きました。イギリスのホテルチェーンが、「ヨセフ(ジョーゼフ)とマリア(メアリー)という名前のカップルは無料で宿泊できます」という企画を、クリスマスシーズンに合わせて打ち出したというニュースです。それは、「二千年以上前のクリスマスイブに、ヨセフとマリアに部屋を提供できなかったことをホテル業界として償いたい」からだというのです。
 神のひとり子を心から迎えることができなかったのは、最初のクリスマスだけではありません。宿屋が客間を用意することができなかったように、様々なことに思い悩み、日々忙しく過ごす私たちは、静かに神のひとり子のおとずれを迎える余地を、私たちの心の中に失ってしまったようなことがあるからです。だからといって、神のひとり子は、クリスマスのおとずれをやめたりいたしません。むしろ、私たちの心の中に静かに入ってくださって、私たちのふさがれてしまった心を内側から愛の光によって照らしてくださいます。クリスマスのおとずれを子どもたちとともに迎えたいと思います。 (園長)

             

2018年11月の園便りから  
 日本の多くのプロテスタント教会の源流をたどっていくと、信仰の自由を求めてメイフラワー号に乗りイギリスから新大陸アメリカを目指したピューリタン(清教徒)たちに遡ります。新大陸の開拓は困難を極め、冬の間に移民の半数が死んだといわれています。こんな中で、アメリカの先住民インディアンたちは、とうもろこしの種を分けかぼちゃの育て方を教えて彼らを助けました。次の秋には豊かな収穫が与えられ、ピューリタンたちは神と隣人に感謝して先住民たちを招待して収穫感謝祭を行いました。そうして1864年、リンカーン大統領は11月第4木曜日を国の祝日と定めてThanksgiving Dayとしてこの出来事を記念しました。神さまに感謝すると共に、苦しみや喜びを分かちあう日だったことを覚えたく思います。
 神様は祝福の"実り"をポンと与えてくれるようなお方ではありません。耕し、蒔き、水をやり、世話をする苦労が伴います。時には、「泣きながら」働かねばならないこともあるかもしれません。しかし、「涙と共に種を蒔く人は喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は束ねた穂を背負い、喜びの歌をうたいながら帰ってくる」(詩編126:5-6)のです。「涙」は無駄には終わらず、「喜び」の収穫に到るのです。 (園長)


                                            
2018年10月の園便りから
 祈りの結びの言葉である「アーメン」はヘブライ語で「その通りに」「まことに」という意味の言葉です。祈るときに、「アーメン」と結べるのは、神さまが真実な方であるからです。もし、神さまが真実でなかったなら、それこそ、神さまの言葉や行動が気まぐれや軽率さから出ているのだとしたなら、そのような神さまには、私たちは確信を持って祈ることはできません。あるときはよくても、次のときは裏切られるかも知れない神さまに対しては、私たちは心から信頼することなどできないからです。
 もちろん、神さまは気まぐれではありません。主イエス・キリストをこの世界に与えることで、神さまはこの世を愛し、私たち一人ひとりを心から愛しているということを示してくださいます。そのような神さまだからこそ、私たちは信頼して祈ることができます。そして「アーメン」と心を込めて祈りを結ぶことができるのです。 (園長)
                                                                                                                                                                                        
 
                                
                                                                         
 
2018年9月の園便りから
大きな木を見ていると、分かることがあります。枝が幹にしがみついているのではなく、幹から枝が伸びているということです。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」とイエスさまはおっしゃいました。ぶどうの木であるイエスさまが、私たちをしっかりとつなげてくださるのです。だから、イエスさまは、私たちといつも一緒にいてくださいます。
  だから、枝は木にしがみつくことを考えなくてもいいのです。枝はもっともっと先へと伸びることを考えればいいのです。そうして気がついたら、良い実が実っているのです。そのことを神さまは喜んでいてくださるのです。イエスさまというぶどうの木に私たちがつながっていれば、実を結ぶことができるのです。 (園長)
 


                                                    

2018年7月の園便りから
 夏を代表する花ひまわりは向日葵の名の通り、太陽といつも向き合っているようです。ある時、「おい、ひまわり。どうしたら、そんな顔になるんだ?」と聞いてみると、「いつも太陽だけをじっと見続けていたから、こんな顔になったんだ!」と、ひまわりは答えます。
 
光の子として歩みなさい」とは、こういうことです。光をずっと見続けていたならば、その光に照らされて、光に包まれて光の子らしくなるのです。
 もうすぐ夏休みを迎えます。子どもにとってこの時期は幼稚園とは違った時間を過ごすことになります。自然の中で過ごす時間が増えるでしょう。自然の息吹、神さまの恵みを感じて心も体も成長し豊かにされることを願います。
 また夏休みは、ご両親や兄弟と一緒に過ごす時間が多くなります。家族と過ごす時間が子どもにとって大切になっています。家族でしかできないことをする、夏にしかできない経験をする、生活習慣を見直す…夏休みがあるお陰で、子どもにプラスなことはたくさんあります。時間にとらわれず濃厚な家族の時間が過ごせるのも夏休みの醍醐味だと思います。家族とたくさん過ごす中で、夏休みの遊びに向けられた好奇心やアイディアの豊かさや自然体験などが、二学期以降の子どもたちによく生かされていきます。  (園長)                                            

                                   

2018年6月の園便りから

 
野の花や空の鳥は心配ごととは無縁です。それは、今の一瞬一瞬を神さまに祝福されて咲き、神さまの恵みを受けて羽ばたいているからです。他人を傷つけることも、他人から自分がどう思われているかという不安もありません。そのような花や鳥の姿こそ、神さまの愛の祝福を映し出しているのです。花や鳥でさえも神さまは祝福で包んでくださるのです。空の鳥や野の花に注目させたイエスさまは、「何を食べようか何を飲もうかと、何を着ようかと、思い悩むな」(6:25)と言われます。それは、神さまが私たちの命と体を養って下さり、そのために必要なものを全てご存じであり、それを私たちに与えてくださるからです。
幼稚園では、それぞれの家庭から花を持ってきて「花の日」の礼拝を持ちます。花の日は19世紀にアメリカの教会で始まりました。小さな花も美しく咲かせてくださる神さまに感謝して礼拝を守り、礼拝後は花を携えて派出所や各社会施設を慰問します。(園長)
 
                                      
2018年5月の園便りから
 
「あなたがたは神に愛されている子供です」(エフェソ5:1)という言葉に続いて聖書は、「神に倣う者になりなさい」と語っています。神さまに倣うとは、隣人を自分を愛するように愛することだ、と言えるでしょう。ここで聖書は、「頑張って、誰でも愛せるようにならなくちゃいけないですよ」とは言っていません。何よりも隣人を愛することの大前提は「あなたがたは神に愛されている子供です」ということです。この私が神さまに愛されているのだ、ということを子供たちに知ってもらいたいと思います。私たちを無条件に愛してくれるこの神さまの愛を知ることができたならば、神さまへの信頼があればきっと、人を愛し受け入れ合うことができるのです。このことを信じて、これからも子どもたちに神さまの愛を伝えたいと思います。(園長)
                                       

   

2018年4月の園便りから  

子どもたちは、幼稚園で落ち着くことができる場所、自分の居場所を見つけるまで、思いきり遊べなかったりします。自分の居場所、それは、愛されていることを知る場所です。子どもたちにとって最良の居場所、それは、たくさんの愛情を注いでくれる保護者と共に過ごす家庭が子どもたちにとって最良の居場所です。子どもたちは愛されていることがよくわかっているのです。だからこそ、教師たちがすることは子どもたちを愛することです。教師たちは職業意識で子どもたちを愛するのではなく、教師たちこそ自分が愛されていることを知っている者だから、子どもたちを愛するのです。
 「神はその独り子をお与えになったほど世を愛された」(ヨハネ3:16)、「神は愛です」(ヨハネT 4:16)と、聖書は神さまの愛を繰り返し語ります。子どもたちに、自分が家庭でたくさん愛されていることを、教師たちに愛されていることを、神さまにたくさん愛されていることを知ってもらいたいと思います。愛されているからこそ、自分も愛する者になってほしいと思います。
 新入園児を迎え、若草幼稚園の2018年度の歩みが始まりました。幼稚園とご家庭が共に、一人ひとりの成長を見守っていきましょう。(園長)               

    


  

2018年3月の園便りから
 
聖書の詩篇138編には神さまに対する信頼が記されています。神さまは、「呼び求めるわたしに答え、魂に力を与え」(138:3)てくださるお方です。また、「主は高くいましても、低くされているものを見ておられる」(138:6)お方です。さらに、「わたしが苦難の中を歩いているときにも、御手を遣わし右の御手でお救いくださる」(138:7)のです。
 つまり神さまは、一人ひとりの祈りの声を聞き、一人ひとりの苦悩をよく知っていてくださるお方なのです。私たちには見えなくても、神さまは私たち一人ひとりを見ていてくださり、苦悩を知っていてくださる、祈りを聞いてくださるお方なのです。この神さまに信頼して子供たちが歩み続けることを願っています。 (園長)  



                                            

2018年2月の園便りから
 

 「光」にはいろいろな光があります。太陽から注がれる光があります。この光によって人々は働くことができ、生きていくために必要なものを手に入れることができます。食べ物となる穀物や木の実や野菜も育てられます。また、寒さに凍える人に温かさを届けます。一方で、太陽とは比べようもない小さな光があります。たとえば、ろうそくの光です。かつては、このろうそくの光を頼りとした時代がありました。太陽が沈んだ夜の闇の中に、この光がポーッとともったとき、ある人は勇気を与えられました。暗闇の中でろうそくの光を頼りに生活をし、勉強をし、旅をした人もいます。
 
神さまは、私たちに光を与えてくださいました。クリスマスに光となって来てくださったイエスさまです。そうして、イエスさまを信じる者を光の子としてくださいます。きっと将来、若草幼稚園で過ごした子供たちは、太陽のようにまぶしく輝く人もいるでしょうし、ろうそくのように人の傍らで優しく照らしてくれる人もいるでしょう。光の子として歩むことを信じています。     (園長)

  

                               

            

           

       

   

  


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