園だより

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2018年4月の園便りから  

子どもたちは、幼稚園で落ち着くことができる場所、自分の居場所を見つけるまで、思いきり遊べなかったりします。自分の居場所、それは、愛されていることを知る場所です。子どもたちにとって最良の居場所、それは、たくさんの愛情を注いでくれる保護者と共に過ごす家庭が子どもたちにとって最良の居場所です。子どもたちは愛されていることがよくわかっているのです。だからこそ、教師たちがすることは子どもたちを愛することです。教師たちは職業意識で子どもたちを愛するのではなく、教師たちこそ自分が愛されていることを知っている者だから、子どもたちを愛するのです。
 「神はその独り子をお与えになったほど世を愛された」(ヨハネ3:16)、「神は愛です」(ヨハネT 4:16)と、聖書は神さまの愛を繰り返し語ります。子どもたちに、自分が家庭でたくさん愛されていることを、教師たちに愛されていることを、神さまにたくさん愛されていることを知ってもらいたいと思います。愛されているからこそ、自分も愛する者になってほしいと思います。
 新入園児を迎え、若草幼稚園の2018年度の歩みが始まりました。幼稚園とご家庭が共に、一人ひとりの成長を見守っていきましょう。(園長)               

    


  

2018年3月の園便りから
 
聖書の詩篇138編には神さまに対する信頼が記されています。神さまは、「呼び求めるわたしに答え、魂に力を与え」(138:3)てくださるお方です。また、「主は高くいましても、低くされているものを見ておられる」(138:6)お方です。さらに、「わたしが苦難の中を歩いているときにも、御手を遣わし右の御手でお救いくださる」(138:7)のです。
 つまり神さまは、一人ひとりの祈りの声を聞き、一人ひとりの苦悩をよく知っていてくださるお方なのです。私たちには見えなくても、神さまは私たち一人ひとりを見ていてくださり、苦悩を知っていてくださる、祈りを聞いてくださるお方なのです。この神さまに信頼して子供たちが歩み続けることを願っています。 (園長)  



                                            

2018年2月の園便りから
 

 「光」にはいろいろな光があります。太陽から注がれる光があります。この光によって人々は働くことができ、生きていくために必要なものを手に入れることができます。食べ物となる穀物や木の実や野菜も育てられます。また、寒さに凍える人に温かさを届けます。一方で、太陽とは比べようもない小さな光があります。たとえば、ろうそくの光です。かつては、このろうそくの光を頼りとした時代がありました。太陽が沈んだ夜の闇の中に、この光がポーッとともったとき、ある人は勇気を与えられました。暗闇の中でろうそくの光を頼りに生活をし、勉強をし、旅をした人もいます。
 
神さまは、私たちに光を与えてくださいました。クリスマスに光となって来てくださったイエスさまです。そうして、イエスさまを信じる者を光の子としてくださいます。きっと将来、若草幼稚園で過ごした子供たちは、太陽のようにまぶしく輝く人もいるでしょうし、ろうそくのように人の傍らで優しく照らしてくれる人もいるでしょう。光の子として歩むことを信じています。     (園長)

     

2018年1月の園便りから
  
明けましておめでとうございます。新しい2017年もイエスさまの少年時代がそうであったように「神と人とに愛されて」(ルカ1:52)心も体も成長していきますように、またご家庭に神さまの祝福がありますよう、お祈りいたします。
 聖書は神さまの愛について、「神は、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハネ3:16)と語ります。神さまがクリスマスにひとり子をこの世に与えてくださったのは、この世と私たちを愛してくださっているからです。
 昨年末のクリスマス会は祝福のうちに行われました。子どもたち全員がそれぞれの役を十分に果たしきって、クリスマスの喜びを全身で表現しました。感謝です。保護者の方々には、一人ひとりの成長の姿を見ていただけたことと思います。子供たちにとってこのクリスマスでの経験は成長の良き糧となることでしょう。神さまとご家庭の方々を初めとして多くの人々に愛されていることを知ることで、子どもたちの3学期以降の成長につながっていくことを願っています。(園 長)                                
                                 
2017年12月の園便りから
「クリスマスChristmas」という言葉は英語ですが、「キリスト降誕祭」を表します。この言葉は、「キリストのミサ」「キリストを礼拝する」という意味です。ドイツ語ではヴァイナハト(聖なる夜)、フランス語ではノエル(良い知らせ)、スペイン語ではナヴィダト(誕生)と呼んでいます。
 なぜ、私たちは毎年「クリスマスおめでとう!」と、お祝いするのでしょうか。それは、イエス・キリストがお生まれになったことが、2017年前に起こった出来事というだけにとどまらず、現代に生きる私たちにとっても重大な意味を持つからです。歴史は、キリストが誕生したと考えられる年を境に、紀元前B.C.(Before Christキリスト以前)と紀元後A.D.(Anno Domini主の年)に分かれます。つまりキリストの誕生によって、歴史が闇の時代から光の時代に大きく変化したのです。人間にはどうにもならないと思われた暗闇に光が輝き、その光を受けた人々の心に喜びと感謝があふれ、新しい命に生きる希望が与えられる。クリスマスは、そんな光を体験する時です。もうすぐ喜びのクリスマスです。 (園長)

            

                        

2017年11月の園便りから  
  私たちが感謝するときに、私たちに与えられた恵みを数えることによって感謝できるでしょう。自分には家族がいるし、友達もいる、将来に希望がある。私たちの周りに目を向けると光があり、青空もあり、花も、木もある。あのこともあり、このこともあるのです。数え上げていくならば、実にたくさんのことが私たちにとって感謝です。しかし、どんなに感謝すべきことがたくさんあっても、悩みや苦しみはやっぱりあるのです。そしてその一つの悩みごとがあるかぎり、いくら感謝できることがたくさんあっても、心からは感謝することなど、なかなかできないのです。しかし聖書はここで、「どんなことにも感謝しなさい」と語ります。「どんなことにも」ということは、私たちの人生のすべてです。私たちの人生は支えられているんだということ、もっと言えば感謝できないような苦しみや悩みの中でも、すべてが受け入れられている、つまりすべてを神さまに頼り切れるのだから、「どんなことにも感謝」できるのです。なぜならば、私たちが神さまに感謝できるのは、神さまが私たちを造って愛してくれているからです。さらに私たちのすべてを担うためにイエスさまがクリスマスに与えられたのです。 (「園長を囲む会」より

                                            
2017年10月の園便りから
 「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」と主イエスは勧めますが、喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣くことは、案外難しいことかも知れません。これとは全く逆の言葉として「他人の不幸は蜜の味」という言葉があるように、他人の不幸に対して覚える歪んだ快感、自分でなくてよかったとする安堵感、あの人に比べれば自分の方がまだマシだと思って味わう安心感。私たちの心の奥底には、そんな「秘密」「嫉妬深さ」、歪んだ「優越感」が潜んでいるからです。
 しかし、そんな私たちの傍らに主イエスは寄り添ってくださいました。私たちの苦しみ悲しみを背負ってくださいました。こんな私の隣り人にイエスさまがなってくださったという、救われた喜びと、そして感謝の思いが、隣り人を愛する愛となるのです。「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」という勧めを心から感謝して受け入れ、隣り人の喜びや悲しみに共感することができるのです。 (園長)
                                                                                                             
2017年9月の園便りから
 「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」とイエスさまはおっしゃいました。イエスさまというぶどうの木に私たちが一所懸命つながっていれば、実を結ぶことができるのです。イエスさまにつながることは、イエスさまにとどまること、イエスさまの愛にとどまることです。イエスさまにつながることは、イエスさまの愛にとどまることなのです。ぶどうの枝が幹とつながり、幹から栄養を受けて実を結ぶように、私たちも、主イエス・キリストとつながり、イエスさまから豊かな愛をいただくことで豊かな実を結ぶことができるのです。私たちも、イエスさまとつながり、イエスさまから豊かな愛をいただくことで「互いに愛し合」うことができるようになるのです。だからイエスさまとつながっていたいと思います。 (園長)                                                                                       
 
                                
                            
2017年7月の園便りから
 「あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。あなたがたも愛によって歩みなさい」(エフェソ5:1-2) と、聖書は語ります。「神に倣う者となりなさい」は「神の肖像画となりなさい」と訳すこともできます。もちろん、私たちは神さまのようにはなれませんが、しかし、神さまに真実に愛されていることを知って、神さまの愛を素直に受け入れ、その感謝と喜びをもって生きることが出来るなら、それが神さまに倣う者として、それこそ神さまの肖像画を私たち自身に描く生き方になります。
 7月、8月は、自然の中で過ごすことがとても多くなる季節です。雄大な自然とその中にある命を、神さまはをその手の中で守り導いてくださいます。何よりも私たち一人ひとりにたくさんの愛を注いでくださっています。この神さまの愛を子どもたちと、たくさん知っていきたいと思います。 (園長)

                                            


2017年6月の園便りから

 
 「野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。…栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。…野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか」(マタイ6:28-30)
 自分で働いたり、紡いだりしないような野の草花のためにさえ、神は雨を降らせ、太陽の光を注ぎ、栄養分を与えてくださって、ちゃんと成長させ、一つ一つの花にそれぞれ固有の美しさを与えてくださいます。大神殿を建て、数々の財宝を手に入れることができたソロモンよりももっと、あの一本の野の花を神さまは美しく着飾らせてくださるのです。それならば、私たち一人ひとりを神は本当に愛し、配慮してくださることは確かです。この神に信頼するとき、今日を生きる力が生まれます。
 幼稚園では、それぞれの家庭から花を持ってきて「花の日」の礼拝を持ちます。花の日は19世紀にアメリカの教会で始まりました。小さな花も美しく咲かせてくださる神さまに感謝して礼拝を守り、礼拝後は花を携えて派出所や各社会施設を慰問します。(園長)

                                       
2017年5月の園便りから
 聖書は「私は魂を沈黙させます。私の魂を、幼子のように、母の胸にいる幼子のようにします」(詩編131:2)と、母親のふところに眠る幼子の様子を描きます。幼子が母親のふところに抱かれを望むのは、乳を欲しがっているからではなく、ただ母親と一緒にいると安心感があるからです。幼子は母親の(父親であっても)そのふところに抱かれているだけで安心して、眠ることが出来るのです。
 神さまと人との関係も同じです。母親が幼子の眠りを支え守るように、生活のすべてを守り導かれる神さまがいてくださるから、安心していられるのです。だから聖書は、主なる神のもとに守られている確かさを繰り返し語ります。そして、神さまにこそ真実の希望があることを私たちに示しています。(4月の「園長を囲む会」より)
                                       


                                                    

       

   

  


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